企業の非財務情報開示が世界的に重要性を増す中、日本でもサステナビリティ情報の開示基準が整備されています。2025年から任意適用が始まり、2027年以降は段階的に義務化されるSSBJ基準(サステナビリティ基準委員会による開示基準)の全容を理解することは、企業の将来戦略において不可欠です。
本記事では、SSBJ基準の3つの構成要素と国際基準との関係性、今後の適用スケジュールまで、実務担当者が押さえておくべきポイントを解説します。サステナビリティ開示への対応準備を進める上での道しるべとしてご活用ください。
SSBJ基準とは?基本的な理解と背景
SSBJ基準とは、サステナビリティ基準委員会(Sustainability Standards Board of Japan:SSBJ)が策定した、日本企業向けのサステナビリティ情報開示のための基準です。国際的な開示基準との整合性を保ちながら、日本の開示制度に適合するよう設計されています。
SSBJ設立の経緯と役割
SSBJは2022年7月1日に財務会計基準機構(FASF)内部組織として設立されました。この設立背景には、IFRS財団が2021年11月に国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)を創設したことが大きく影響しています。
SSBJの主な役割は二つあります。一つは日本企業に適用するサステナビリティ開示基準の策定・改訂という国内向けの役割、もう一つはISSB基準への意見反映や国際的な整合性確保という国際的な役割です。SSBJは国際的なネットワークの中で、日本の意見を反映しつつ国内基準を整備する重要な橋渡し役となっています。
現在、SSBJはISSBのJurisdictional Working Group(管轄区域作業グループ)メンバーとして、また2023年に設立されたSustainability Standards Advisory Forum(SSAF)の初期メンバーとして参画しています。さらに2024年11月にはGRI(Global Reporting Initiative)と覚書(MoU)を締結し、ダブルマテリアリティの調整に向けた協力関係を構築しています。
SSBJ基準の3つの構成要素と特徴
SSBJ基準は3つの基準から構成されており、2025年3月5日に最終公表されました。これらはすべて任意適用が開始されています。国際基準であるIFRS S1およびS2を日本向けに分割・反映させた構造になっています。
基準1:サステナビリティ開示基準の適用(適用基準)
適用基準は、IFRS S1の「基本事項」部分に対応しており、サステナビリティ情報開示全体の総則や原則を規定しています。報告期間・範囲、重要性判断の基準、比較情報の取り扱い、開示頻度、開示場所などの横断的なルールが含まれています。
この基準の特徴は、基本的にISSB基準と同等でありながら、日本独自の「選択適用」規定が限定的に追加されている点です。この選択適用規定を使わなければ、ISSB基準との完全一致が実現できるように設計されています。この基準は2027年以降段階的に導入される義務化の土台となります。
基準2:テーマ別基準第1号 一般開示基準(一般基準)
一般基準は、IFRS S1の「コア・コンテンツ」部分に対応しており、あらゆるサステナビリティ課題に共通して適用される開示項目を定義しています。主な構成要素は「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」の4要素で、これはTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の構造を踏襲しています。
この基準の最大の特徴は、気候変動や人権、自然資本などテーマを問わず、すべてのサステナビリティ課題に対して横断的に適用される共通フレームワークとなっている点です。実質的にはすべての企業が対象となり、サステナビリティ情報開示の基本構造を提供します。
基準3:テーマ別基準第2号 気候関連開示基準(気候基準)
気候基準は、IFRS S2に対応しており、気候変動に関するリスクと機会についての詳細な開示要件を規定しています。移行リスク・物理的リスク、気候関連の機会、そして特に重要なのがシナリオ分析結果の開示が必須となっている点です。
また、温室効果ガス排出量(Scope 1、2、3)、内部炭素価格設定、気候関連目標とその進捗状況などの開示も求められています。ほぼすべての上場企業がこの基準の適用対象となることが想定され、サステナビリティ開示の中でも最優先で導入が進められている分野です。
基準名 | ISSB対応 | 主な内容・特徴 | 適用対象・導入状況 |
---|---|---|---|
サステナビリティ開示基準の適用(適用基準) | IFRS S1「基本事項」 | 報告期間・範囲、重要性判断、比較情報、頻度、場所などの横断ルール | 2025-03任意適用開始/2027年以降段階的義務化の土台 |
テーマ別基準第1号 一般開示基準(一般基準) | IFRS S1「コア・コンテンツ」 | 4要素:ガバナンス/戦略/リスク管理/指標・目標(TCFD構造) | 気候・人権・自然などテーマ不問で横断適用 |
テーマ別基準第2号 気候関連開示基準(気候基準) | IFRS S2 | 移行・物理リスク/機会、シナリオ分析結果、GHG排出量(Scope1-3)等 | ほぼ全上場企業が該当想定。最優先で導入が進む |
SSBJ基準と国際基準(ISSB)との関係性
SSBJ基準は国際基準との整合性を重視して設計されています。ISSB基準とSSBJ基準の対応関係を理解することで、グローバルな開示要件との整合性が明確になります。
ISSB基準との完全対応関係
SSBJ基準とISSB基準の対応関係は以下のようになっています:
- IFRS S1の「基本事項」→ SSBJ「適用基準」
- IFRS S1の「コア・コンテンツ」→ SSBJ「一般開示基準」
- IFRS S2 → SSBJ「気候関連開示基準」
この3基準のセットは、IFRS S1とS2を合わせたものと同等の内容となっています。SSBJ基準において日本独自の規定を適用しなければ、ISSB基準に完全準拠したと見なされるという特徴があります。これにより、日本企業が国際的な比較可能性を確保しながら開示することが可能になっています。
今後の改訂・追加テーマの見通し
SSBJ基準は、ISSB基準の改訂に合わせて随時更新されていく予定です。例えば、2025年末までに予定されているIFRS S2の修正(Scope3開示要件の緩和など)は、SSBJ気候基準にも反映される見込みです。
また、新たなテーマ別基準として、自然資本・生物多様性(Nature)や人的資本・人権(Human Capital)に関する基準の策定が進められています。基本的にはISSBがまず公開草案を発表し、それに基づいてSSBJが日本版草案を作成し、最終公表するというサイクルが予想されます。
さらに、日本の法定開示書類との整合性を確保するための微調整や、用語定義の細部修正なども随時行われますが、国際比較可能性は維持される方針です。
SSBJ基準の適用スケジュールと段階的義務化
SSBJ基準は2025年3月期から任意適用が始まり、その後段階的に義務化されていく計画です。金融庁のサステナビリティ情報の開示・保証のあり方に関するワーキング・グループ(WG)が示した適用スケジュールを確認しましょう。
企業規模に応じた段階的適用計画
SSBJ基準の適用は企業規模に応じて段階的に進められます。時価総額の大きい企業から順次義務化され、その後保証義務も課されていきます。
2025年3月期からすべての企業が任意で適用できますが、義務化は2027年3月期から始まります。最初に時価総額3兆円以上のプライム市場上場企業に開示義務が課され、翌2028年3月期からはこれらの企業に保証義務も適用されます。
その後、時価総額1兆円以上(2028年3月期~)、5,000億円以上(2029年3月期~)と順次対象が拡大され、2030年代前半にはその他のプライム市場上場企業にも適用される予定です。保証義務は常に開示義務の1年後から課されるスケジュールとなっています。
期 | 対象企業 | 開示義務 | 保証義務 |
---|---|---|---|
2025-03期 | 任意適用(全企業) | – | – |
2027-03期 | 時価総額3兆円以上プライム企業 | 開示開始 | – |
2028-03期 | 時価総額3兆円以上プライム企業 | 継続 | 保証開始 |
2028-03期 | 時価総額1兆円以上 | 開示開始 | – |
2029-03期 | 時価総額1兆円以上 | 継続 | 保証開始 |
2029-03期 | 時価総額5,000億円以上 | 開示開始 | – |
2030-03期 | 時価総額5,000億円以上 | 継続 | 保証開始 |
2030年代前半 | その他プライム企業 | 開示→順次保証 | 1年遅れで保証 |
保証の範囲と要件
SSBJ基準に基づく開示情報には、段階的に保証義務が課されます。この保証は、国際保証業務基準(ISAE)3000などに基づく限定的保証が想定されています。
保証業務は、主に監査法人によって提供されることになります。開示内容の信頼性を高める重要なプロセスであり、企業はデータの収集・管理体制や内部統制の整備を早期に進める必要があります。保証業務は開示開始の翌年度から適用されるため、開示初年度から保証を見据えた準備が重要です。
他のサステナビリティ開示フレームワークとの関係
SSBJ基準は単独で存在するものではなく、既存の国際的なフレームワークとの関係性の中で理解する必要があります。企業は複数のフレームワークに対応する必要がある場合も多いため、それらの関係性を把握しておくことが重要です。
GRI(Global Reporting Initiative)は、企業が社会に与える影響を中心に据えた「ダブル・マテリアリティ」の視点を重視しています。SSBJはGRIとMoU(覚書)を締結し、相互マッピングの策定を進めており、両者を補完的に活用することが想定されています。
TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)は、2017年の提言が広く採用されてきましたが、その内容はSSBJ気候基準に実質的に取り込まれています。TCFDは2023年10月に使命完了を宣言して解散したため、今後はSSBJ基準(およびISSB基準)がその役割を引き継ぐ形になります。
SASB(サステナビリティ会計基準審議会)の業種別指標は、ISSBが継承しており、日本企業も参考指標として利用することができます。また、統合報告フレームワーク(<IR>フレームワーク)もISSBとの統合が進められており、統合報告書ではSSBJ基準とGRIなどを組み合わせた開示が想定されています。
さらに、CDPのような評価機関も質問票をISSB準拠に改訂する予定で、SSBJ基準に基づいて収集したデータを流用しやすくなる見通しです。
SSBJ基準対応のための実務アクション
SSBJ基準の導入に向けて、企業は様々な準備と体制整備が必要になります。実務担当者が考慮すべき主要なポイントを確認しましょう。
ガバナンス体制の整備
SSBJ基準では、サステナビリティ課題に関するガバナンス体制の明確化が求められています。取締役会レベルでのサステナビリティ監督(oversight)と経営陣の執行責任を明確にする必要があります。
サステナビリティ委員会の設置や役割の明確化、取締役会への定期的な報告体制の構築など、組織的な対応が求められます。これは単なる開示対応だけでなく、企業のサステナビリティ戦略全体の実効性を高めるためにも重要です。
データ収集・管理体制の構築
サステナビリティ情報、特に気候関連データの収集・管理体制の整備は最優先課題です。財務データと非財務データを統合したプラットフォームの構築や、Scope3排出量算定のためのツール導入が急務となっています。
データの信頼性確保のための内部統制やトレーサビリティの確保も重要です。特に保証を見据えた場合、データの収集プロセスや計算方法の文書化、エビデンスの保管体制などを整備する必要があります。グループ企業やサプライチェーン全体でのデータ収集体制の構築も課題となるでしょう。
シナリオ分析とリスク評価の実施
気候関連開示基準では、シナリオ分析の実施と開示が求められています。1.5℃、2℃、4℃など複数の気候シナリオに基づいた分析と、それが事業戦略やレジリエンスに与える影響の評価が必要です。
定量的な影響分析モデルの構築も重要な課題です。シナリオ分析は単なる開示のためだけでなく、気候変動がもたらす戦略的リスクと機会を特定し、対応策を検討するための重要なツールとして活用すべきです。専門家の知見を取り入れながら、自社のビジネスモデルに即した分析を行うことが求められます。
レポート体系の最適化
有価証券報告書や統合報告書など、既存の開示媒体にSSBJ基準の要素をどのように組み込むかも検討が必要です。レイアウトの最適化や情報の重複を避けるための工夫が求められます。
投資家をはじめとするステークホルダーにとって理解しやすい開示体系を構築することが重要です。また、将来的にはデジタルレポーティングへの対応も視野に入れる必要があるでしょう。
ステークホルダー別のメリットと課題
SSBJ基準の導入は、企業、投資家、監査法人、規制当局など様々なステークホルダーに影響を与えます。それぞれの立場から見たメリットと課題を理解することで、より効果的な対応が可能になります。
企業側のメリットと実務課題
企業にとってのメリットは、国際基準に準拠した開示による資本コストの低減や、サステナビリティデータの可視化による戦略・リスク管理の高度化などが挙げられます。投資家とのエンゲージメント向上にもつながるでしょう。
一方で、Scope3データの収集負荷やIT投資・人材育成のコストなど、実務面での課題も存在します。特に中小規模の企業にとっては、リソース確保が大きな課題となる可能性があります。しかし、これらの投資は長期的な企業価値向上につながるものと捉え、計画的に進めていくことが重要です。
投資家・監査法人の視点
投資家にとっては、比較可能な定量的ESGデータの取得や、保証付きの情報による信頼性向上というメリットがあります。これにより、投資判断の精度向上や、エンゲージメントの質的向上が期待できます。
監査法人にとっては、新たな保証ビジネスの拡大という機会がある一方、ESG専門人材の獲得競争や、保証アプローチの整備(ISAE 3000への適合など)といった課題があります。特に保証業務の品質確保と効率化の両立が重要な課題となるでしょう。
規制当局の視点では、国際的な整合性の確保や投資家保護の強化というメリットがある一方、基準改訂に追随する制度改正のタイムラグなどの課題も存在します。
ステークホルダー | 主なメリット | 主な課題 |
---|---|---|
企業 |
– 国際基準準拠で資本コスト低減 – サステナデータ可視化による戦略・リスク管理高度化 |
– Scope3データ収集負荷 – IT投資・人材育成コスト |
投資家 |
– 比較可能な定量ESGデータ取得 – 保証付きで信頼性向上 |
– 企業横断でのデータ品質ばらつきへの対応 |
監査法人 | – 新たな保証ビジネス拡大 |
– ESG専門人材獲得競争 – 保証アプローチ整備(ISAE 3000適合) |
規制当局 | – 国際整合、投資家保護強化 | – 基準改訂に追随する制度改正タイムラグ |
SSBJ基準における代表的な開示項目
SSBJ基準で求められる具体的な開示項目を理解することは、実務準備を進める上で重要です。各カテゴリーにおける主要な開示項目を見ていきましょう。
ガバナンス関連の開示項目
ガバナンス関連では、取締役会の気候・ESG監督責任や専門委員会の有無などの開示が求められます。具体的には、取締役会がサステナビリティ課題をどのように監督しているか、その頻度や方法、取締役会への報告プロセスなどです。
特に重要なのは、サステナビリティリスクと機会に関する責任の所在を明確にすることです。例えば、取締役会レベルの委員会(サステナビリティ委員会など)の構成や役割、経営陣の責任範囲などを具体的に開示することが求められます。
戦略・リスク管理の開示項目
戦略面では、サステナビリティ課題が事業モデル・戦略にどのような財務的影響を与えるかの評価や、シナリオ別のレジリエンス分析結果の開示が重要です。短期・中期・長期の時間軸での影響評価も求められます。
リスク管理については、重要なサステナビリティリスクを特定するプロセスやモニタリング体制の開示が必要です。これらのリスク管理プロセスが全社的なリスク管理とどのように統合されているかも重要な開示ポイントです。気候変動以外のサステナビリティリスク(例:人権、生物多様性など)についても、重要性に応じた開示が求められます。
指標・目標の開示項目
指標・目標については、GHG排出量(Scope 1、2、3)、エネルギー使用量、内部カーボン価格など、定量的な指標の開示が求められます。社会・人的資本関連のKPI(離職率、多様性・公平性・包摂性(DEI)指標など)も重要です。
各指標について、目標値・実績・経年トレンドの開示も必要となります。特にScope3排出量については、算定範囲や方法論の明示、データの精度向上に向けた取り組みも含めた開示が求められます。また、目標設定の背景にある科学的根拠(例:Science-Based Targets)の説明も重要です。
まとめ
SSBJ基準は、国際的なサステナビリティ開示の潮流に対応し、日本企業の非財務情報開示を体系化するための重要な枠組みです。2025年からの任意適用開始を経て、2027年以降は段階的に義務化が進みます。
- SSBJ基準は適用基準、一般開示基準、気候関連開示基準の3つで構成される
- ISSB基準との互換性を確保しつつ、日本の開示制度に適合するよう設計されている
- 2027年から時価総額規模に応じた段階的義務化が始まり、翌年から保証も必要になる
- ガバナンス体制、データ収集・管理、シナリオ分析など、実務面での準備が重要
- 長期的な企業価値向上と投資家との対話強化につながる戦略的な取り組みである
今後のサステナビリティ開示の義務化に備え、早期からの準備と体制整備を進めることをお勧めします。PwC Japanでは、SSBJ基準対応のためのアドバイザリーサービスを提供しておりますので、お気軽にご相談ください。